U-DO(United Disco Object) 創設者 菊田 隆彦氏 - Disco DJ AKI ブログ

U-DO(United Disco Object) 創設者 菊田 隆彦氏

70年代から80年代、毎夜、日本全国の膨大な数のディスコはお客さんで満ち溢れ熱狂状態でした


80年代「TOKYO」は、ディスコ文化の本場N.Y.を店舗数、動員数で凌駕、「世界一のディスコ都市」に輝やきました




本日のブログはその世界一のディスコ都市「TOKYO」の礎を築いた、日本のディスコ史上、DJ史上に燦然と輝くU-DO(United Disco Object)創設者・菊田 隆彦氏のインタビュ-記事をお楽しみください

Tommy The Bitch ‎– Give It To Me (2)


(AKI):菊田さん、本日はよろしくお願いいたしますまず読者の皆さんに簡単なご経歴をご説明ください


(菊田氏):はい、よろしくお願いします
私は六本木で育ったことからアルバイトを始めたのが「ディスコ当初ホール仕事でした

その後、75年、「新宿ツバキハウス」からDJとなり新宿カンタベリーハウス、六本木レキシントンクイーンなどでDJをチ-フとして歴任しました







また、大型店のDJチーフだけでなく
数店舗のディスコにDJを派遣したりスケジュールを組んだりしていました

店の雰囲気、DJの好きな曲調などを考えて、「派遣DJ」の配置など創意工夫をしていました





24歳のこの頃
DJの地位向上のため日本全国のディスコDJと共に「U-DO(United Disco Object)」を創設、「Tommy The Bitch」のアルバムを音楽プロデュ-サ-「ロビー和田氏」より依頼されプロデュ-スしました。



DJ現場からは引退した後は企画プロデュ-サ」になりました




手がけたディスコは「六本木・パシャクラブ」のオープニング「渋谷・スターウッズ」、「沖縄・コナガーデン」・・・・





85年、神戸に移動
「CF・ジャンクション・ビル」など”ポートアイランドの飲食ビル”の総合企画を手がけました



その後、”マハラジャを”経営する「東京ノヴァ・21」から依頼を受け入社「社長室にて企画プロデュ-ス」に従事飲食業界は90年に引退しました。





(AKI):日本のディスコの歴史について
お聞かせ願えますか?


(菊田氏):まずは、「ディスコ」と言う名も無い
時代のお話から・・・(笑)当初は、「サパークラフでの生バント演奏」でのダンスを楽しむ社交場が主流でした

しかし当時の最大の問題点は「生バンドの経費」です私の先輩であるお店の経営者方々の悩みは「生バンドは経費がかかる」のが悩みの種でした


その中、どうすれば「ダンスを楽しむ社交場」が成立するか
経営的に考えていました




そんな時代に洋楽を楽しむことがオシャレである時代が来ました家庭用ステレオの普及とレコード店の開店・・・・・洋楽を題材にしたテレビ番組「ビートポップス」




この「ビートポッブス」は
フジテレビ系で司会が”大橋巨泉”、”星加るみ”など・・・・当時は踊るための曲はなかったですがスタジオに多数のギャラリーが参加


踊っていました




いわゆる「GoGo・ダンス」ですね
これからヒントを得てレコードをデカイ音でかけ、ダンスを踊らせる「GoGo・クラブ」が「日本のディスコのルーツ」と考えます。






(AKI):80年代洋楽の普及に貢献した
”小林克也氏”、司会の「ベストヒットUSA」に該当するのが66年にスタ-トした大橋巨泉氏司会の「ビートポップス」なのですね




「GoGoクラブ」から「ディスコ」に変革していくわけですが
当初の「ディスコ」はどのような形態でしたか?




(菊田氏):70年代のディスコは
「マニアックな小箱」と「デカ箱・チェーン店」に分かれていました




当時の「ディスコ・DJ」の立場は”ただの皿回し””フィリピンバンドの人”と同じ扱いでした特に「大型ディスコ」ではただ、レコードをかけていれば良いだけの仕事、曲もウケ狙いの同じ曲ばかり・・・・・




そこで「音楽好きな人間が集まる」
「マニアックな店」ができたのです


違いはデカ箱は「大衆受けするポップな曲」いわゆる”ミーハー”中心しかし、ブラックミュージックを知る私達は違うんだと拘った人が集まりホールのスタッフも皆、音楽好きな人が集まって「マニアックな小箱」を盛り上げていました


この辺からブラックミュージックなど、専門ジャンルの小箱と
ミ-ハ-な曲をかける大型店が分かれていきます



私は大型店にいましたが
間違いなくディスコは大衆受けするものになると思っていました


そしてチャチャ、バンフ、ウォターゲートなどダンスを形として踊るブーム


その後、78年、サタデーナイトフィバーのでディスコが爆発的ブームを巻き起こし、一般的になりました





しかし、まだまだDJは、認められていませんでした


店側は、音楽さえが流れていれば
DJのスキルとは関係なく客は勝手に楽しむといった見方でした


当時、私は大型店のDJチーフだけでなく、数店舗のディスコにDJを派遣したり、新人DJの養成などを行っていました


そこで
「DJの地位向上のため、何かアクションを起こしたい」と切望していました




(AKI):普通の職業プロDJは、自分の技術向上だけに努力
お店の看板たるチ-フ・メインDJはそれだけでなく勤務するお店の売り上げ向上を考える」


その上で、DJ業界全体の地位向上を考えられた、というのは
菊田さんは視点が大きいですね




(菊田氏):或る日テレビを見ていると
「アメリカのDJの番組」が偶然放映されていました


DJ数人が
スタジオで曲のアレンジに意見をし音作りにも意見をし楽しくプログラム、プロデュースしていた光景・・・・・・・




目は釘付けになり、思わず「これだ!!」
身体全体から情熱がほとばしりました




その曲が日本でもヒットしたPeter Brown」のデビュ-シングル「Dance With Me」だったのです
Peter Brown Dance With Me 03Peter Brown Dance With Me 01

Peter Brown / Dance With Me (US Promo 12`Special Disco Version) 78

本日はマイアミ「TKレ-ベル」の白人アーティスト"Peter Brown"の78年作 マイアミソウルの女王"Betty Wright"をフュ-チャ-したメガヒット曲です コレクタ-涎モノの"非売品 US盤 Promo 12inch"の「Special Disco Version」でお聴き下さい関連記事 Peter Brown / Dance With Me (US Promo 12`Special Disco Version) 78





曲をセレクトして紹介する立場のDJが
曲自体を作成プロディ-スできる事に感銘を受け


DJの地位向上に不可欠なアクションであると、衝撃を受けました





(AKI):そして「U-DO(United Disco Object)」の創設と
Tommy The Bitch」のアルバムをプロデュ-スすることになるのですね?




(菊田氏):77年に偶然が重なり、
新しい音楽スタイルを模索中の「和田氏」から私に会談の申し込みがありました




”和田アキ子”の『笑って許して』(1970年)


”西城秀樹”の『傷だらけのローラ』(74年)


”松崎しげる”の『愛のメモリー』(77年)……
松本伊代、葉加瀬 太郎



こうした70年代、80年代の大ヒット曲を制作したのが
“伝説のプロデューサー”と呼ばれる「ロビー和田」こと「和田良知氏」です


数日後、その「和田氏(以下ロビ-)」に会う事になり
衝撃を受けた”Peter Brown「Dance With Me」”の製作過程と同じトミーザビッチの誕生」になるなんて夢にも思いませんでした(笑)


ロビーと合っての第一声は
「タカシ君、レコードのプロデュースしてくれない!!!!!」でした


実はロビーも
あのPeter Brownのテレビを観ていたとか・・ロビーはディスコが好きでお客としてDJの耳、センスを理解していました


私は直ぐにOK、
その日から曲の構成、ミュージシャンの選択などをロビーと共に考えることになりました


(AKI):トミ-ザビッチのシングル盤の解説で
ロビ-和田氏は音楽市場のディスコにおける重要性特に音楽市場において宣伝プロモ-ションにDJの力が不可欠であることに気がついていたのですね?


Tommy The Bitch ‎– Give It To Me 02




(菊田氏):日本では
ピンクレディーとかキャンディーズなどアイドル歌謡が全盛時代


この時代はテレビの歌謡番組などメディアを総動員して音楽をヒットさせる時代でした




トミーザビッチは
企画、宣伝全てを日本のDJ集団「U-DO(United Disco Object)」が請負い日本各地のディスコでヘビロテしました

Tommy The Bitch ‎– Give It To Me 06


結果、
日本のヒットチャ-ト「オリコン」で第一位を獲得


当時の人気テレビドラマ「俺たちは天使だ!」、「探偵物語」、「大都会PARTIII」、「プロハンター」など・・・・・アクションドラマで頻繁に使用され爆発的人気を獲得しました



従来のヒット曲の作成過程とは異なる
全国のディスコフロア-からの発信によるヒット曲は画期的であったと思います





(AKI):私のDJ時代(79年から85年)は大手レコ-ド会社が頻繁に「DJ会議」を開催したり新譜やいわゆる「日本盤プロモ12inch」を営業マンがディスコのDJブ-スまで持参して頭を下げながらプロモ-ションして来られたほどDJの地位は向上していました




このような地位向上のきっかけは
菊田さんが創設された「U-DO(United Disco Object)」の先輩DJたち」の努力の賜物であることがとても理解できました。




次回ブログでは
MCだけでDJ」していたと勘違いされている70年代DJスタイルについて詳しくお話を聞かせていただきたく思います


是非よろしくお願いいたします



(菊田氏):最後にLDA会長トメさん
今でも現役DJ赤シャツのミツグさんキサナドゥのプロデューサーTko(タカオ)さん椿ハウスのなべさん、ジェスパDJトミクさん


他にも当時全国各地でDJをなさっていた方々で
このアルバムを支えてくれたことに感謝いたします


本日はありがとうございます



Tommy The Bitch ‎– Give It To Me 05Tommy The Bitch ‎– Give It To Me (3)


70年代、革新的DJ集団U-DO(United Disco Object) と創設者 菊田 隆彦氏のカテゴリ-を作りました
こちらも是非宜しくお願いします





明後日にはU-DO(United Disco Object) 創設者 菊田 隆彦氏のインタビュ-第二弾を予定しています。ご期待くださいね


本日はブログにご訪問ありがとうございます

Enjoy!! DJ AKI
関連記事

コメント

コメント(0)
コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

DJ AKI

Author:DJ AKI
DJ AKI is a former Japanese DJ of the 80’s, I was performing in Osaka most famous discotheques from 1979 to 1985.

I’m also a serious vinyl collector with a collection of over 20,000 records.

This music blog since 2014 on which you can find over 1000 articles added on a daily basis.

You can check out my mixes on my Mixcloud page. DJ AKI is also making apperances in Los Angeles . New York and Brazil FM Radios.

カテゴリ

Ago (5)
War (5)

日本ブログ村


にほんブログ村
にほんブログ村

スポンサ-リンク