本日は民族音楽や黒人音楽を融合した「先鋭的な音楽」で、世界中に衝撃を与えた、ニュ-ヨ-クのロックバンド「Talking Heads」
稀代の天才”David Byrne”が83年に創造した感動のFUNKナンバ-です ”非売品 US盤 PROMO 12inch”の「Special Disco Verson」でお楽しみ下さい 民族音楽や黒人音楽を融合した「先鋭的な音楽」で、世界中に衝撃を与えた、ニュ-ヨ-クのロックバンド「Talking Heads」、 1877年創立、アメリカ最高の美大と称えられる名門美術大学「Rhode Island School of Design」出身の”David Byrne”、”Chris Frantz”、”Tina Weymouth”の学識高いインテリジェンス溢れる3人により、74年大学在学中に結成 77年に”Jerry Harrison”が加入、「Talking Heads」としてレコ-ドデビュ-、 ”Brian Eno”をプロデュ-スに迎えてからは「アフリカンリズム」に傾倒し、”Robert Fripp”をゲストに「新世代のワ-ルドミュ-ジック」にも果敢に挑戦 80年代は「P-FUNK」の最高頭脳である「Bernie Worrell」をメンバ-に招き、音楽性を昇華させていきます。 89年の解散までに2枚のライブ盤含み10枚のアルバムをリリ-ス、音楽ジャンルに囚われない、最先端の音楽性を追求した「頭脳派インテリ集団」です
本日の救出品 12inch 皆さん大好きシリ-ズ 第391弾 Talking Heads / This Must Be The Place (US Promo 12`Special Disco Version) 83 「Talking Heads」の5枚目、83年リリースの「Speaking in Tongues」から”David Byrne”作詞によるラブ・ソングは感動の名曲です 映画「ウォール・ストリート2」のエンディング曲や、2011年ショーン・ペン主演「きっとここが帰る場所」のテ-マとして使われた内容・・・・・ 流転してきた男が最後に辿り着いた安住の地としての「Home」、そこでの優しさに満ちた生活に対する愛を歌いました 12inchはプロモ-ション用として配布された「非売品 US盤 Promo 12inch」だけです。ダンスフロア-を意識して高音圧でワイドレンジな「Special Disco Version」としてプロユ-スにアレンジされています 観客は皆さん総立ちで感動の渦、David Byrneの素晴らしいライブです David Byrne - This Must Be The PlaceVIDEO ライブの様子を記録したドキュメンタリー映画、84年リリ-ス「Stop Making Sense」より Talking Heads - This Must Be The Place (Live: Stop Making Sense) VIDEO こちらは上品に纏められた、2004年のライブです David Byrne - This Must Be The Place Live Jools Holland 2004 VIDEO スタジオ盤です Talking Heads - This Must Be The Place (Naive Melody) VIDEO 当時、レコ-ド会社主催で行われていた、有力ディスコのDJだけを集めた「DJ会議」に出席していただいた、「 私のUS PROMO 12インチ」には、83年オンタイム勤務していたディスコの名前、大阪ミナミ周防町にあった「DISCOマギ-」の名前が入っています これは、従来アメリカのDJにだけ配布されていたと思われていたUSプロモが、レコ-ド会社を通じて、日本のディスコにも配布されていたという、一つの事実として、ご覧頂ければ面白いですここからは、本日、FMラジオでお話しさせていただいた内容です
今のクラブは飲み物代金だけや、安い入場料金で遊べますが・・・・・・当時の高級ディスコは、お客さまから、3000円や4000円という高い入場料をいただいていました。ですから 、私の勤務したような高級店です、タダで聴ける音源や、家庭で聴けて、誰もが入手出来る45回転の「7インチ・シングル」や一般に流通する「LP・アルバム」の使用はあまりしていませんでした
ディスコではディスコ用に音圧、音質を調整し、ディスコで踊るためだけに特別に編集された「SPECIAL DISCO REMIX」の12inchシングル盤という業務用レコ-ドを使用していました 普通のLPアルバムはA面、B面で10曲とか入っていますが、業務用12インチ・シングルはA面、B面一曲ずつだけ・・・・・・・分かり易くい言うと大きなシングル盤です。 お値段は当時LPアルバムが2000円程度で入手出来ましたが、12インチ・シングルはそれより高い、3000円程 プレス枚数が少ないために直ぐに入手困難となり、プレミアが付くという状況でした 当時のディスコは一流店、高級店ほど「12インチの現場使用に対する拘り 」がありました LPやド-ナツ盤でしかセレクト出来ない音源は別にして、通常は12インチ主体でセレクトし、LPやド-ナツ盤は使うことは希でした。ブログ読者の皆さんが、当時の最先端一流店ディスコを味わいたいならば、音源は12インチが不可欠です このこだわりは、料理人の食材選別と同じです。もちろん、レコ-ドならなんでも良いという職人気質でない、インスタントな大衆ディスコや、リクエストばかり使う「ジュ-クボックスDJ」の方も多数存在していましたことは事実です
ですから、ひとくくりに「80年代・ディスコ」、「ディスコDJ」とカテゴライズされるのは、現場にいた私にすると「乱暴」なことであります
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